Builder Home Page

[NPO] MitsuUroko Club

八王子城跡 三ッ鱗会

■ イベント:歴史探訪

■ 17/02/25 第2回「絆の会」を開催

第二回、絆の会が高尾山薬王院大本坊で開催されました。
これは小田原城や鉢形城(埼玉寄居町)など、小田原北條グループ(後北条)傘下の各市・町で活動している9団体、86名の参加によるものです。
石森八王子市長をはじめとして来賓各位にご出席をいただき、さらに歴史小説家の伊東 潤 先生にも特別にご参加していただき、大変みのりのある会となりました。
伊東先生からは小田原北條、さらには八王子城について興味を持つに至った経緯や、現在執筆中のテーマ、TV出演の裏話など、思わずその場面を思い浮かび上がらせ、本当に興味深いお話でした。
参加されたみなさん、ご苦労さまでした。
後北条の絆を実感した1日でした。
次回(第三回)は小田原市で開催の予定です。

イメージ01 (お迎えする八王子城隊のメンバーが集結してきました)

イメージ01 (ケーブル乗車口です。みんな観光大使になりきっています)

イメージ01 (そうこうするうちに石森八王子市長もやって来ました)

イメージ01 (高尾山薬王院の受け付け所です)

イメージ01 (NPO「八王子城跡三ッ鱗会」金子理事長から開会の挨拶です)

イメージ01 (石森八王子市長をはじめ、ご来賓各位からお言葉をいただきました )

イメージ01 (特別参加の伊東先生のお話は思わず、自分の体が八王子城跡の中に飛んでいって溶け込んだような錯覚をいだかせるものでした)

イメージ01 (これが「天狗御膳」です。ウナギのようでウナギでない・・・・・)

イメージ01 (伊東先生、ゆっくり召しあがって下さい)

イメージ01 (懇談タイムです。各団体から近況報告などがありました)

イメージ01 (最後は一本締めで、今後のさらなる発展を誓い合いました)

フォトフォルダーはここをクリック



■ 16/06/19 第2回講演会「八王子城を語る」を開催

NPO法人「八王子城跡三ッ鱗会」の歴史と文化の伝承事業の第2回目の講演会として「八王子城を語る」がもたれました。
講師は八王子市元市長 波多野重雄氏で、参加された聴衆は60名ほどと盛況でした。
波多野さんは1990年当時、それ以前は林野同然の御主殿・居館地区を、トップダウンで発掘・復元の指示をし、ほぼ現在我々が見ている状態にまで整備を推し進めた牽引者です。
今回の講演はその歴史遺産を受け継いでさらに発展させようと活動している我々に、当時の思い出ばなしなども含めお聞かせお願いしたいとの趣旨で企画されました。
内容は、400年記念事業に至った経緯、発掘・復元でのご苦労、北條関連市町との連携や敵方の前田軍(金沢市)からの招へい、にまで及ぶ大変興味あるものでした。
後半は波多野さんのライフワークともいえる、氏照公家臣、中山勘解由の残した愛息、末裔たちのその後の活躍をまとめたものでした。
波多野さんは御年90歳を少し越え、いまだ矍鑠(かいしゃく)として話すさまは、聞いている我々に勇気と希望を与えてくれるものとなりました。
貴重なご講演、本当にありがとうございました。

イメージ01 (気軽に自著の本にサインをしてくれる波多野元市長)

イメージ01 (お元気です。力強く、1時間半、お話をしてくれました)

イメージ01 (最後の質疑応答も当時の現場で指揮した方ならではのものでした)



■ 16/3/12 歴史講座第二回「北条氏照と城館」を開催

NPO法人「八王子城跡三ッ鱗会」と八王子市教育委員会生涯学習スポーツ部文化財課の共催による2回目の歴史講座がもたれました。
講師は江戸東京博物館学芸員の 齋藤慎一 さんです。
受講者はあらかじめ往復ハガキで申し込んで選ばれた220名で、予備の椅子を総動員するほどの満員でした。

内容は・・・・・
@本拠の変遷として、氏照公が大石家に養子に入って以降、本拠とした3つの居城の時系列的立地的関係を解説。
A堀切と横堀の使われ方として、構造が山城であるか平城(平山城)かで必然的に出てくる違い。
B馬出として、小田原北条家(後北条ともいう)の各城の形状と秀吉の聚楽第に与えた影響を示唆。
C石垣の視点として、アゴ止め石の技法を北条グループ各城での採用、徳川家にも継承されたのではと推測。
D北条家の築城術として、八王子城として石工(いしく)をはじめとした技術者集団を直属として抱えていたのではなく、後北条として共有した。
などの解説がありました。

齋藤先生、素晴らしい講演どうもありがとうございました。

イメージ01 (主催者側の不手際で随分待たせてしまいました。深く反省しています)

イメージ01 (主催者側を代表して八王子市文化財課長より挨拶がありました)

イメージ01 (先生のパワーポイントを使った説明はとても説得性がありました)

イメージ01 (最後の質問時間です。たくさんの方が待ち構えて挙手が続きました)

イメージ01 (的確な解説をどうもありがとうございました)

講演の要旨はオフィシャルガイドホームページに掲載されています。

参照は次をクリック 講演要旨



■ 15/11/7 第1回講演会「小田原北条氏の関東支配と八王子城」を開催

NPO法人「八王子城跡三ッ鱗会」と八王子市教育委員会生涯学習スポーツ部文化財課の共催による第1回目の講演会がもたれました。
講師は東京都立大学名誉教授 峰岸 純夫 先生です。
受講者はあらかじめ往復ハガキで申し込んだ200名で、会場は完全に満杯状態でした。
内容として・・・・・
@歴史における勝者による敗者の救済と活用をあげ、元服前の藤菊丸(氏照公)が川越夜戦で敗北した大石家に養子として入った経緯など、小田原北条家の戦略を分かりやすく解説してくれました。
A次に、氏照公が八王子城の建設を進めた道筋、そして彼に「落ちるはずのない我が八王子城」と言わせた即物的実態としての城を提示しました。
Bさらには、豊臣秀吉の小田原(関東)への侵攻にあたって、伊達正宗の信義にもとる行為、この背信がなかったら歴史の展開は変わっていたであろうという先生の説の展開など、溢れてくる解説に時間のたつのも忘れるほど興味に満ちたものでした。
峰岸先生、素晴らしい講演どうもありがとうございました。

イメージ01 (会場はJR八王子駅の真向かいのビルの12F、11Fにはこんなレストラン。筆者は今まで知らなかったです)

イメージ01 (会場受け付けには返信ハガキを持った受講者が続々と集まってきました)

イメージ01 (峰岸先生は即席のコーナーで、自著本にサインをするサービスを。受講の歴女としばし歓談)

イメージ01 (選ばれたテーマが我々にとって大変興味深いものでした)

イメージ01 (ときおりユーモアも交え、とても分かりやすい講演でした)



■ 15/02/27 講演会「後北条時代の暦(れき・こよみ)」を開催

NPO法人「八王子城跡三ッ鱗会」の歴史と文化の伝承事業の第1回目の企画として「後北条時代の暦(れき・こよみ)」の講演会がもたれました。
講師は八王子城跡オフィシャルガイドの野原良夫さんで、参加者は30余名でした。
内容として、まず縦軸として理論としての暦(れき)と具現化した暦(こよみ:カレンダー)を峻別して併記する必要があること。
それに横軸としてそれぞれの時代区分に応じて、理論としての暦(れき)と使用された暦(カレンダー)を差し込んでくれました。
我々の最も関心のある戦国から安土桃山期についていえば、前者で、後北条の関東や東海を中心として「三島暦」が広く展開されていたこと。
それが後者で織田信長が「三島暦」に依拠し、さらにそれが朝廷暦に対峙することになり、朝廷に擁護された明智光秀の本能寺の変に繋がったのではないかとの展開など、大変興味深い内容でした。
講師の野原さん、素晴らしい講演どうもありがとうございました。

イメージ01 (三ッ鱗会の「歴史と文化の伝承事業」担当から今後こういった活動を展開していくことの挨拶がありました)

イメージ01 (会場のガイダンス施設には多くの聴講者が集まりました。左手前が講師の野原さん)

イメージ01 (さすが元教師、みんなに分かり易く語りかけるように講演が進みました)


【使用した図表(抜粋)】
 講演で使用した図表の一部ですが野原さんに提供していただきました。

 次をクリック PDFファイル(855KB) 使用した図表