八王子城跡三ッ鱗会

[NPO] MitsuUroko Club

八王子城跡 三ッ鱗会

■ 歴史展開:段丘要塞の御主殿曲輪

【築き上げられた石垣群,御主殿曲輪】

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御主殿曲輪はここから関東山地がはじまると主張しているようにせり出した人工の段丘です。
武蔵野を望む立地にあり、戦国当時、この城一帯は樹木が切り払われていたので、関東平野が一望できたはずです。
現在、私たちが見ているこのかたちは、1989年(平成元年)から1990年にわたって行なわれた復元工事によって形成されたものです。
その中でどこが発掘により出土したものかわかりますか?
オレンジの輪を入れた部分が出土したもの(ホンマもん)です。

■ 発掘された遺構と現状(復元物)との対比

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発掘された本物の遺構と復元物を対比して示しました。

虎口は御主殿曲輪への登城階段です。途中の踊り場にはいわゆる櫓門がありました。
両側の石垣は崩落が激しく1mほどしか残っていませんでした。

西側、突き当り正面の石垣、じつはこれは発掘されたものは城山川に向かって下方斜めに下っている石垣なんですね。
でも復元したものは積み増しされて天面は水平になっています。
それと対になってやはり城山川に向かって下方斜めに石垣が発掘されています。
これも積み増しされて違う構造物になっています。
ここでは取りあえず「下方降り口」としておきました。

さらに驚くのは橋台下に発掘された石垣です。
今、私たちが見ているのは発掘されたものの、上側、1/4くらいだけなんですね。
あとは地中に埋め戻されています。

■ 御主殿曲輪:見えている中で(戦国当時の)本物は?

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御主殿曲輪内は1992年、1993年(平成4年、5年)に大規模な発掘調査が行なわれました。
調査終了後、一面にブルーシートをかけられ、その上に60cmから1mの厚さに土が盛られ、現在はひとつを除いて戦国当時からの本物はすべて地表から60cm以上の下にあります。
移動して場所を変えたものは別として、戦国時代から変わらず存在しているのは、池泉庭園の石組:三尊石の主石だけです。
あとは平成24年度に行なわれた復元的整備工事で作られた遺構イメージです(地中にある遺石と場所は同じです)。