八王子城跡三ッ鱗会

[NPO] MitsuUroko Club

八王子城跡 三ッ鱗会

■ 歴史展開:山頂部の曲輪群

【山頂部(要害部)の曲輪群】

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八王子城山は標高460mの深沢山を巧みに利用し、その山頂は要害部を構成します。
この要害部はいくさのときの戦いの砦となる場所です。

■ ここに天守閣があったわけではない

山頂部にある山頂曲輪は多くの表記に「本丸跡」と書かれていますがここに天守閣があったわけではありません。
江戸時代の初期に描かれた「慶安の古図」には「拾一間x七間」の広さがあったと記載されています。これは現在、我々が現在見ているものとほぼ同じくらいの広さです。
とても天守閣を築ける広さではありません。
また、江戸時代の中期に描かれた「武蔵名勝図」(独立行政法人国立公文書館所蔵)にも「八王子城本丸跡」として、御主殿地区が提示されています。
戦国時代の、山城の山頂部に、天守閣が厳然と存在したのは織田信長の安土城だけです。

■ 山頂部(要害部)は曲輪群の集合体

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八王子城山の山頂部は山頂曲輪を中心に、拠点となるいくつかの曲輪が配置された曲輪群の集合体です。
それによって攻めあげてくる軍勢を迎え撃つ要塞を構成しました。
氏照公が守護神とした八王子城神社もこの地区にありました。
また、山頂部には坎井(かんせい:井戸)2ヶ所あり、その中のひとつは現在も水が出ます。

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