八王子城跡三ッ鱗会

[NPO] MitsuUroko Club

八王子城跡 三ッ鱗会

■ 歴史展開:太鼓曲輪堀切群

【太鼓曲輪には密集した堀切群】

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戦国当時は城域一帯は樹木が切り払われていたので、御主殿曲輪は武蔵野(関東平野)を望むせり出した要塞段丘ということになります。
太鼓曲輪はそれに対峙した形で配置されています。
太鼓曲輪は長く続く尾根ですが、奇妙なことには御主殿の対岸に相当するあたりに密集して5つの堀切が構築されています。

■ ニワトリ(石材調達)が先かタマゴ(堀切構築)が先か

再びニワトリとタマゴの観点に立ちます。
詰の城と大堀切の項でも記載したように、堀切はもちろん山城としての防御機能の役割が第一義的にありますが大量の石材の供給元としての意義があったと考えられます。

■ 太鼓曲輪は御主殿段丘構築の石材供給地

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太鼓曲輪尾根を歩いてみると、長い尾根の中で5つの堀切を(チマチマと)一点に集中しておくより、戦略的には要所に分散配置した方がよいのにと感じます。
結局、この下で行なわれた石垣、石段の造営工事のために大量の石材が要求され、それが堀切の構築とマッチしたんでしょうね。