八王子城跡三ッ鱗会

[NPO] MitsuUroko Club

八王子城跡 三ッ鱗会

■ 歴史展開:詰の城から大堀切

【八王子城の西の防衛線】

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八王子城山々頂部の要害が陥落したときにここまで退避し最後の戦いを迎え撃つところとして、現代になってから「詰の城」と呼ばれています。
地勢的には八王子城の西の防衛線ということになります。
詰の城へ向かう尾根筋から上方へ、そしてここを頂点として、さらに搦め手(城の裏手)方向へ下る尾根筋に営々と石塁が築かれています。
戦国当時の樹木がなかった状況を思い浮かべて下さい。
これは八王子城の西の領域を意味し、その威容を誇示するのに十分だったと考えられます。
そして西方に分岐する尾根(富士見台方向)に下るところにはこの城で最大級の堀切があります。
これらはいずれも400年を超す風雨にも埋もれることなく残った戦国遺構です。

■ ニワトリ(大堀切)が先かタマゴ(石塁)が先か

大堀切は西側の防衛のために尾根を「U」字型にくり抜いて造った巨大なU字溝です。
一方、石塁を構築するためには多量の石材が必要です。
見方を変えれば大堀切はその石材を供給するための石切り場、であったということになります。

■ 大堀切の壁面に造られた「祈り壇」

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戦国当時の石工たちの叫びが聞こえますか。
大堀切の西側壁面には岩肌の中央にえぐり切りこまれた方形の空間があります。
大きさは、きちんと水平にほぼ40cm、縦もきちんと垂直にほぼ20cm、奥ゆきは12〜13cmのえぐり削られたボックスです。
これは戦いに明けくれた当時の人たちの祈りの証、祈壇だったんですね。